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名古屋地方裁判所 昭和53年(ヨ)1682号 判決 1982年2月26日

申請人

田中脩一

右代理人弁護士

恒川雅光

右復代理人弁護士

前田義博

被申請人

日本電建株式会社

右代表者代表取締役

上原秀作

右代理人弁護士

福井富男

神崎直樹

主文

申請人の本件申請をいずれも却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  申請人が被申請人の従業員の地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は申請人に対し、昭和五三年九月一日以降本案判決確定に至るまで毎月一二日限り金四万二三七〇円及び毎月二五日限り金一三万六三九三円を仮に支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  申請人は、昭和四二年一二月一日、被申請人名古屋支店(以下会社ともいう)に営業社員として入社し、以来その営業活動に従事してきた。

2  被申請人は、建売住宅の建築・販売等を業とし、全国的に支店を設置している従業員約二〇〇〇名の会社である。

3  被申請人は、申請人を昭和五三年八月三一日付で解雇したとして、翌九月一日以降申請人を被申請人の従業員として扱わない。

4(一)  被申請人においては、営業社員の給与は、毎月二五日に基本給、業務給及び資格給が、毎月一二日に工事報酬が支給されているところ、申請人が昭和五三年六月から同年八月までの三ケ月間に被申請人から支給を受けた基本給、業務給、資格給及び工事報酬の額は次(下表・編注)のとおりであった。

(二)  被申請人は、自己の責に帰すべき事由により申請人の労務の受領を拒否しているのであるから、申請人は被申請人に対し、民法五三六条二項により反対給付である昭和五三年九月一日以降の賃金の支払を請求する権利がある。

5  申請人は、借財返済のため兄弟から借金をした際に妻と離婚し、現在実母と生活しているが、子の養育料の仕送りや借金返済の必要があるのに、本件解雇以後被申請人から賃金の支払を受けられないため、右仕送り、返済ができないことはもとより、自らの生活費にも事欠く有様である。また、申請人は現在四五歳で他への転職も厳しい状態にある。

<省略>

以上の次第で、申請人は本案判決の確定を待っていては著しい損害を蒙る虞れがある。

二  申請の理由に対する答弁

1  申請の理由1ないし3の事実は認める。なお、被申請人の主たる業務は、建築請負である。

2  同4(一)の事実は認めるが、同(二)の事実は否認する。

3  同5の事実は争う。

三  抗弁

1  被申請人は、昭和五三年八月三一日、同日申請人受領の書面をもって申請人に対し、同日付で申請人を左記理由により就業規則六八条一項九号及び一一号に基づき解雇する旨の意思表示をし、解雇予告手当を提供した。

(一) 申請人は、昭和五三年七月三一日より同年八月二四日まで通算二五日間正当な理由もなく無届欠勤し、かつ、就業規則で定められた諸手続を怠った。

(二) 申請人の第二九期四月ないし八月度の業務成績は前期に引続き著しく不振につき向上の見込み無きものと認められる。

(三) 申請人は個人的な負債が多く、債務不履行のため賃金の仮差押を受けている他、債権者から申請人及び被申請人に対して再三の督促を受けており、また、同僚社員間の金銭貸借の返済不履行等著しく、職場秩序を乱し会社の信用を傷つけている。

2  本件解雇事由の詳細は次のとおりである。

(一) 無断欠勤

(1) 被申請人における欠勤等の手続

被申請人においては、営業社員が休暇をとったり、欠勤、遅刻等をする場合には、原則として前日までに文書で営業課長(課長不在の場合は課長補佐)に届出ることになっており、例外的に事由が当日発生する場合には、速やかに営業課長(課長不在の場合には課長補佐)に電話等で連絡することになっている。なお、その際、会社の電話交換手が代わりに連絡を受けることは認めていない。このように例外的な場合であっても必ず連絡を要する理由は、営業社員は常に多くの顧客を持っており、顧客から会社への連絡が常に入ってくる関係上、会社としては、たとえ営業社員が休暇をとっている場合でも仕事上の連絡をしなければならないことが頻繁にあるからである。

具体的には、営業課長が毎日朝九時から九時一〇分頃にかけて出勤簿を整理し、その時点において出勤しておらず、かつ、連絡の届いていない(又は連絡不十分な)営業社員については、その出勤簿に簡単なチェックをし、後に本人から文書を提出させ、出勤簿に欠勤、年休、遅刻等の区別に従がって押印処理をしている。そして、営業課長は、連絡が明確な営業社員の出勤簿には出社後本人が速やかに届を提出できるよう届出用紙を挾んでいた。なお、欠勤になるのは、年次有給休暇(以下年休という)が残っていない状態で休んだ場合と年休の残日数があっても所定の手続をとらずに休んだ場合である。

(2) 申請人の無断欠勤

申請人は、昭和五三年七月二八日から同年八月二五日までの間に、通算二二日間(同年七月二八日、七月三一日から八月四日まで、八月七日から同月一二日まで、同月一四日から同月一八日まで、同月二一日から同月二五日まで)無断欠勤した。

(二) 成績不良

(1) 被申請人が営業社員に要求している最低請負高

被申請人が営業社員に要求している最低請負高は、二六期(昭和五〇年度、すなわち昭和五〇年四月から昭和五一年三月まで、以下も同様)から二九期(昭和五三年度)までいずれも年間三六〇〇万円であるが、その理由は次のとおりである。

被申請人の近年における年間総請負高は約一〇〇〇億円であり、営業社員総数は一三一〇名であるから、営業社員一名当りの年間請負高は七六三三万円である。ところで、被申請人が営業社員に支給している平均給料は、固定給が月額一三万七〇〇〇円、能率給が月額一〇万五〇〇〇円、賞与が年額八九万五〇〇〇円であるから、年間三八〇万円である。また、被申請人が負担する経費(前記給料を除く)を営業社員一名当りに換算すると、営業社員以外の人件費(内勤、建築社員等)は年間三四五万三〇〇〇円、一般管理費(宣伝経費等)は年間三二一万八〇〇〇円で、その合計は六六七万一〇〇〇円である。

したがって、営業社員一名当りの年間経費は、前記給料三八〇万円に前記六六七万一〇〇〇円を加えた一〇四七万一〇〇〇円であるところ、請負金額に対する適正な経費率は一三・五パーセントとされているから、右経費を生み出すための請負高は七七五六万円となる。故に原則として営業社員が一名当り年間七七五六万円以上の請負契約を締結しないと被申請人としては採算がとれないことになる。

以上により年間請負高が三六〇〇万円未満であるということは、およそ営業社員としての資格を喪失してもやむを得ないと考えられるのであり、被申請人は、ある営業社員の年間請負高が三六〇〇万円を割った場合には、その者の活動状況、健康状態、生活態度、環境を調査し、現場責任者(通常は店長)が向上の見込みなしと判断したときは、退職勧告又は予告解雇の措置をとっている。

(2) 申請人の二七期以降の営業成績

申請人の二七期(昭和五一年度)以降の営業成績(以下成績という)は、次(下表・編注)のとおりであって、いずれも名古屋支店の平均業績を下回っており、特に二八期(昭和五二年度)及び二九期(昭和五三年度、但し、同年八月末まで)の成績は殆ど最下位であった。

(3) 申請人の成績が向上の見込みなきものと判断した理由

申請人の獲得した請負高は、二八期後半から急激に落込み、二九期に入ってから更に落込んでいるが、これは、申請人が後述の多額の負債の返済に追いまくられ、営業活動どころではなかったためである。すなわち、営業社員は営業活動に必要な交通費、交際費等の経費を自己負担しなければならないところ、当時の申請人の賃金手取額は極端に少なく(昭和五三年三月、七月、八月にいたっては手取額がマイナスになっている)、営業活動に必要な交通費さえ支弁できない状態であった。

申請人の成績順位及び請負高

<省略>

一般に、営業社員の成績は、日常の積極的な営業活動によって、いかに多くの受注に結びつく見込客を獲得するかにかかっているのであるが、申請人の場合は二八期後半から二九期中途の解雇に至るまでの間、自ら積極的に見込客を獲得して契約にこぎつける本来の営業活動を行なった形跡はなく、僅かに支店日直(来社又は電話による見込客の受付)及び分譲地日直(セレクトホーム現地案内所の来場者受付)を行なっただけである。したがって、申請人の見込客は殆どなく、また、過去の申請人扱いの顧客の信用も失っており、そこからの紹介見込みもなかった。本来の営業活動によって得られる一般注文建築の受注が、見込客取得後相当の折衝期間を要することを考慮すると、申請人の成績が近い将来、すなわち二九期に向上する見込みは皆無であった。

(三) 個人的負債等を直接の原因とする不都合(会社の信用失墜、業務阻害、同僚への迷惑等)

(1) サラ金業者からの借入

被申請人においては、営業社員が毎日一名順番に支店日直を勤め、来客、電話の受付を行なっているが、その一環として営業社員宛の電話を受付け、後に本人に伝達するため連絡簿を備え付けている。

ところで、昭和五二年四月頃よりサラ金業者から申請人に対する督促の電話が会社に頻繁にかかるようになり、その回数は同年秋から昭和五三年春にかけて頂点に達し、一日に一〇回位かかることもあった。このようなサラ金業者の数は、被申請人において確認し得ただけでも一六業者にのぼった。そして、右の督促電話を受けた者は、当時の営業社員二九名のほぼ全員に及び、その他上司や内勤社員も巻添えを食い、右電話応対のため顧客に対する応対が著しく阻害され、本来の業務が満足にできない状態となった。また、電話の内容も次第に強硬なものとなり、「お前のところは社員の住所もわからんのか、会社に届出ている申請人の電話は通じない、どういう会社なんだ」、「あなたの会社は、こんな人を置いているのか、首にしたらどうか」、「課長代理の地位にある申請人でさえこの始末だから、業界では日本電建は要注意ということになっている」等と被申請人自体に対する非難の言葉も多くあり、一般大衆を顧客とする被申請人の信用が失墜させられた。そのため、特に昭和五二年一二月から翌五三年一月にかけて営業社員の間から管理者側に対し申請人宛の電話応対の件を何とかして欲しいとの要求が起り、小坂名古屋支店長(以下小坂支店長という)は、昭和五三年二月、営業社員全員が出席する営業会議において、かかるサラ金業者からの会社への督促電話は、個人的負債とはいえ正常な業務を著しく阻害するものであるから十分注意するよう警告を与えるとともに、申請人個人に対しても同様の注意をした。しかし、申請人に改善のあとは全く見られず、同年八月に至るまでサラ金業者からの頻繁な電話による督促の状態が続いた。

(2) バーでの飲食代金未払

申請人は、昭和五二年頃名古屋市中区栄四丁目OMビル内のバー「ゴールデンアロー」にしばしば出入りし、つけで飲食していたが、飲食代金の支払を何回にもわたって怠ったため、右バーから会社に対し督促の電話が頻繁にかかり、その応対によって社員の業務が著しく阻害されたのみならず、電話の内容も前記サラ金業者からの電話と同様に被申請人自体を非難するもので、被申請人の信用が傷つけられた。更に、昭和五二年一〇月頃には、右バーの経営者が会社に来て一階の受付で「お前の会社はどういう会社か、こんな不良社員を置いているのか、誠意がなければ何人か連れてきて座り込みをさせるぞ」等と怒鳴りちらし、被申請人の業務が著しく阻害された。このような事態になったため、当時の申請人の上司である山路営業課長は、会社の体面も考え、やむなく申請人に対し一五万円を個人的に貸与え、借金返済の一部にあてさせた。

(3) 給料差押

(イ) 申請人は、昭和四九年四月、日本信販株式会社(以下日本信販という)によって給料債権を差押えられたが、その負債の殆どはJCBカードを利用して約三ケ月間にバー、キャバレーで飲食した代金であり、右差押によって被申請人の信用が失墜し、上司、同僚も甚大な迷惑を蒙った。

すなわち、被申請人の取引先が三和銀行である関係上、いわば会社の信用ということで被申請人の多くの社員がJCBカードを利用しているが、右差押によって被申請人自体の信用が失われた結果、日本信販から被申請人へのカード利用の勧誘が停止し、以後被申請人においては右カードを使用できる者は誰もいないという状態になってしまった。

(ロ) 申請人は、昭和五一年六月八日、中部日産ディーゼル株式会社(以下中部日産ディーゼルという)によって給料債権を差押えられ、そのため被申請人の信用が傷つけられた。

(ハ) 申請人は、昭和五三年七月七日、再び中部日産ディーゼルによって給料債権の仮差押を受けたが、この時は、申請人が右会社から使用する意思が全くないのに新車を月賦で購入した上、代金を全く支払わずに直ちに大蔵産業という質屋に入れ、二五万円を借入れたものであって、右仮差押により被申請人の信用は大いに傷つけられた。

(4) 社員間の貸借

(イ) 井上芳喜に対する借金

申請人は、昭和五三年三月頃から営業社員井上芳喜からしばしば無利息で借金し、また、それ以前にも同人にサラ金業者からの借金の保証人になって貰っていたもので、同年八月末現在で同人に対し合計四一万五〇〇〇円の債務を負っていた。井上は、本件解雇後被申請人が申請人のため供託した金員の中から一部の返済を受けたが、いまだに残金二五万五〇〇〇円(但し、利息は含まれていない)の返済を受けていない。

(ロ) 堀省三に対する借金

申請人は、昭和五〇年一一月同僚の堀省三に保証人になって貰って日本信販から一〇〇万円を借りたが、弁済を怠ったため、昭和五二年に入ってから堀は日本信販からしばしば返済の催促を受けるようになり、給料の差押を受けるかもしれない事態に陥った。

(5) 旅行会積立金の不正使用

被申請人名古屋支店においては、営業社員全員が相互の親睦と旅行を目的として結成した旅行会がかつて存在し、その運営は、主として選任された各委員が会員の積立てた資金(会員一名当り月額一〇〇〇円)を管理し、これを会員に貸付けるという形で行なわれてきた。昭和五二年一二月二四日、申請人を含めて五名の者が旅行会の委員となり、申請人は二村延夫とともに会計担当者になったが、その時から昭和五三年七月末までの間独断で積立金の管理をし、次のような違法行為をした。

(イ) 昭和五二年一二月二八日、保証人をつけなければ貸付を受けられないのに、保証人なしで三万円を借り出した。

(ロ) 昭和五三年二月二五日、一万円を借りたことにして自ら生じさせた不足分を填補し、右金員を横領した。

(ハ) 同年三月二七日、貸出限度額の三万円を返済しない限り再度の貸付は受けられないのに、右(イ)の三万円を返済しないうちに更に一万円を借り出した。

(ニ) 同年四月二五日、前記堀省三に無断で同人が二万円を借りたことにして右金員を借り出し、これを横領した。

(ホ) 同年五月二五日、吉田からの三万円の入金を記載せず、これを横領した。

(ヘ) 同年七月の時点で自らの費消横領により積立金の不足分を生じたため、同年六月に三万円を借りたことにして不足分を填補した。

(ト) 右(ヘ)の填補にも拘わらず同年七月末の時点において更に二万三〇一九円の不足を生じたが、これも申請人が費消横領したものである。

以上のとおり申請人は、一五万三〇〇〇円余の使途不明金を生ぜしめ、そのため、旅行会の責任者は無断欠勤中で所在不明の申請人を捜すのに相当苦労し、本来の業務を著しく阻害されたばかりでなく、この事件を契機に旅行会は中止となり、営業社員全体が大きな迷惑を蒙った。なお、右使途不明金は、昭和五三年九月二七日に申請人の退職金から差引かれるまで填補されなかった。

(6) その他の負債及び不都合

申請人は、労働金庫から既に三〇万円を借りており新規貸付について日本電建労働組合(以下組合という)の保証や推薦が得られないところから、昭和五二年一〇月に営業社員柴井繁克名義で労働金庫から三〇万円を借り、同人に大きな迷惑をかけた。また、申請人は昭和五二年一〇月に、同年八月一二日から九月一五日まで就業不能であったと偽って保険会社から所得補償保険金一〇万〇八〇〇円を受取ったが、実際は右期間中に二二日も会社に出勤したのであって、申請人の右行為は保険金詐欺にあたるものである。更に、申請人は電話料金を滞納したため、昭和五三年七月熱田電話局は通話不能の措置をとった上、申請人の電話加入取消をしようとしたところ、サラ金業者が電話加入権に質権を設定していたため処置に困り再三に亘って黒田勉営業課長(以下黒田課長という)に解決方を要請した。そのため営業課長の本来の業務が阻害され、被申請人の信用も失墜した。また、申請人は組合名古屋支部厚生部取扱いの割賦制度を利用することにより、小口テーラー、三宅時計店、松美食堂に対して未払代金を生ぜしめ、申請人の労働金庫からの借入金残金を含め総合計四八万九六二〇円の未払金についてトラブルが生じた場合には組合が会社に対して責任を負うという願書まで提出する事態となり、組合は著しい迷惑を蒙った。

(四) まとめ

被申請人は、右(一)ないし(三)の申請人の所為が就業規則六八条一項九号(業務成績著しく不良につき、向上の見込みがないと認めたとき)及び一一号(前各号のほか、従業員に解雇に値する重大な事由があると認めたとき)に該当することが明らかであったため、昭和五三年八月二五日、小坂支店長において申請人に対し退職勧告をした。その際、被申請人と組合との間にはユニオン・ショップ協定があり、組合員(申請人も組合員である)を解雇する場合には組合と事前協議をする必要があったため組合名古屋支部副委員長、同書記長が同席したが、右組合役員も申請人に対し、退職して退職金で負債を清算し再出発したらどうかと勧めた。

ところが、申請人は右退職勧告に応じなかったため、被申請人はやむなく同年八月三一日申請人を解雇したのである。

四  抗弁に対する答弁及び主張

1  抗弁1の事実は認める。

2(一)(1) 同2(一)(1)の事実は否認する。

被申請人名古屋支店の営業社員の主たる仕事は、個人住宅の建築請負と建売住宅の販売で、契約までとりつけることであり、営業活動の時間は自ずから夜間と休日に限られているので、朝の出勤及びその手続については、新入社員以外は管理職から束縛を受けることは全くなかった。すなわち、営業社員は、欠勤、休暇、自宅から顧客宅等への直接訪問等の会社への届出、連絡は殆んど口頭でなし、その方法も、事前又は事後に直属上司、電話日直者、電話交換手、同僚に連絡するのが通常であった。また、年休の使用残のある成績上位の営業社員は口頭の届出さえしないのが実情である。これらの取扱は、営業社員については成績のみが重視されていることの反映である。

営業課長の行なう営業社員の出勤簿整理は、確認のできた社員のみ出勤簿に次(下表・編注)の略号を鉛筆で仮に書き入れ、不確実な者は空白にしておき、後日正式に押印するならわしであった。

なお、出勤簿において「欠勤」となるのは、年休の手持日数のない社員が休んだ場合であり、また、営業活動が深夜まで及んだときは翌日は自動的に「休暇」でもよいとされていた。

(2) 同(2)のうち、申請人が昭和五三年七月三一日から同年八月四日まで、同月七日から同月一一日まで、同月一四日から同月一八日まで及び同月二一日から同月二四日までの通算一九日間就業しなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。

<省略>

昭和五三年七月二八日は、展示場の日直をしたから欠勤ではない。同年八月一二日は、午前一〇時頃会社へ工事報酬を受取りに行った際、係員から営業課長が個人的に話があるといっていたとの伝言を聞き、終業時間後に右課長と会ったのであるから、遅刻として取扱われるべきである。また、同年八月二五日は、午前八時一〇分頃出社して営業室へ行く途中、支店長から口頭で退職勧告を受け、これを拒否したところ、午後一時に退職勧告の文書を手渡すとのことで、午後一時頃再び会社に行ったのであるから、遅刻として取扱われるべきである。

次に、同年七月三一日は、前日の三〇日(日曜日)に営業活動として高木邸及び渡辺邸の見積り打合せに従事したので、その振替休日として休務したものであり、同様に同年八月七日も前日の六日(日曜日)に高木邸及び小野田邸の見積り打合せに従事したので、その振替休日として休務し、同月一四日も前日の一三日(日曜日)に展示場の日直をしたので、その振替休日として休務したのであって、いずれも欠勤ではない。

その余の期間、すなわち同年八月一日から同月四日まで、同月八日から同月一一日まで、同月一五日から同月一八日まで及び同月二一日から同月二四日までの通算一六日間は、同年七月二五日の時点で年休の残日数が二三日あったので、年休をとって休務したものであり、その届出も次のとおりなしているから、いずれも無断欠勤ではない。

(イ) 同年七月二五日、「ミーティング」の席上において黒田課長と加藤営業課長補佐に対し、八月から当分年休をとる旨申出た。

(ロ) 同年七月二八日、会社に電話して同僚の山本隆彦と仕事の打合わせをした際、「君が来週出社したら課長に私は当分年休をとって休むと伝えて欲しい」旨依頼した。

(ハ) 同年七月三一日、会社に電話して電話交換手に対し、当分年休をとる旨の課長宛の伝言を依頼した。

(ニ) 同年八月一日、会社の裏の喫茶店「うみ」で同僚の右山本に前同旨の伝言を依頼した。

(ホ) 同年八月六日、右喫茶店において同僚の松本深枝に前同旨の伝言を依頼した。

(ヘ) 同年八月八日、右喫茶店において同僚の柴井繁克に前同旨の伝言を依頼した。

(ト) 同年八月一二日、会社で名古屋支店次長に会った際、口頭で年休の届出をした。

右のとおり、年休の届出が会社になされ、かつ、会社もこれを了知していたことは、申請人が同年八月一二日出社して出勤簿を確認した際、それに当日の分まで「年休」又は「休暇」のゴム印が押され、年休届出用紙が挾んであった事実からも明らかである。

(二)(1) 同2(二)(1)のうち、被申請人が営業社員に要求している最低請負高が、二八期及び二九期については年間三六〇〇万円であることは認めるが、その余の事実は否認する。

右最低請負高は、二七期の場合年間三〇〇〇万円であった。また、被申請人が営業社員に退職勧告をするのは、当該社員が営業社員賃金維持最低条件額を二期連続して下回った場合である。

(2) 同(2)のうち、申請人の獲得した二七期以降の請負高が被申請人主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は争う。

(3) 同(3)のうち、申請人の獲得した二八期及び二九期(但し、昭和五三年八月末まで)の請負高がそれ以前に比べて落込んだことは認めるが、その余の事実は否認する。

成績に関する申請人の主張は以下のとおりであって、本件解雇時において成績向上の見込みは充分あった。

申請人の成績は、昭和四二年の入社以来二七期に至るまで名古屋支店内において常にトップクラスを続け営業課長代理にまで昇進した程であった。因みに、二三期から二七期までの間の実績は次(下表・編注)のとおりである。

もっとも、二八期になって成績が落込んだのは、病気(下半身不随)で歩行困難になり、昭和五三年二月まで自動車の運転も不可能な状態で充分な営業活動ができなかったためであるが、それでも労使間の協定で定められた営業社員賃金維持最低条件(年間請負高二四〇〇万円)は確保したのである。

次に、申請人が解雇されなければ二九期において申請人の成績として確実に計上できた筈の見込客、予定請負高等の詳細は別紙(略)見込客一覧表記載のとおりであって、予定請負高は一億五〇〇〇万円をはるかに越えており、成績向上の見込みは充分にあったのである。

(三)(1) 同2(三)(1)のうち、申請人が多くのサラ金業者(日本信販及び質屋である大蔵産業を加えると一四業者)から借入れをし、申請人が会社にいないときにサラ金業者から会社に度々申請人宛の電話連絡のあったことは認めるが、その余の事実は争う。

<省略>

申請人は、被申請人に入社する以前に生じた金融機関に対する負債が残っていた上、入社後同僚らのサラ金からの借入れについて保証人になったところ、その後本人が行方不明になったため支払の必要が生じ、多くのサラ金業者から借入れをしたが、昭和五一年夏に兄弟達から借金してサラ金業者に対する借金の大半及び銀行、公庫等に対する借金を返済した。そして、借金の残りも僅かとなり、仕事に励んで残額を清算しようとする矢先に解雇されたのである。

(2) 同(2)のうち、申請人が昭和五二年当時被申請人主張のバーを利用し、つけで飲食していたことは認めるが、その余の事実は争う。

申請人は、顧客である大手企業の持家制度担当者達を接待するため約二ケ月に一回程度右バーを利用していたが、いつも多人数で行き、一回の飲食代金も相当高額になるため、主に給料日に代金の一部を支払っていたもので、残高は常時七万円程度であった。なお、昭和五二年一一月と一二月に右飲食代金の支払をめぐってバーの従業員と山路営業課長との間にトラブルの生じたことがあったが、これは、右課長の対応のまずさも手伝って単発的に生じたものに過ぎない。

(3) 同(3)(イ)のうち、申請人がJCBカードを利用していたこと及び昭和四九年四月に日本信販によって給料債権を差押えられたことは認めるが、その余の事実は争う。

同(ロ)の事実のうち、申請人が昭和五一年六月に中部日産ディーゼルによって給料債権を差押えられたことは認めるが、その余の事実は争う。

同(ハ)のうち、申請人が昭和五三年七月七日に中部日産ディーゼルによって給料債権の仮差押を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4) 同(4)(イ)及び(ロ)の事実は認める。

(5) 同(5)のうち、被申請人名古屋支店に旅行会が存在し、昭和五二年一二月に申請人が右旅行会委員(五名)の一人に選ばれ、会計担当者になったこと、旅行会が会員の積立金を営業社員に貸付けていたこと、申請人が自己又は堀省三の名義で旅行会から貸付けを受けたこと、昭和五三年八月末の時点において旅行会からの申請人自身の借入金及び申請人の責任において旅行会に返済すべきものが一五万三〇〇〇円(利息を含む)あったことは認めるが、その余の事実は否認する。

右の申請人の責任において返済すべきものとは、塚原良三及び吉田孝司が旅行会から貸付けを受けたまま退職したので、その分の借入れ名義を申請人に変更した上、その利息を申請人が毎月支払っていたものである。

(6) 同(6)のうち、申請人が昭和五二年八月一二日から同年九月一五日まで就業不能であったとして保険会社に対し所得補償保険金の支払を請求し、保険金一〇万〇八〇〇円を受取ったこと、申請人が右期間中に二二日間会社に出勤したこと、申請人の加入していた電話二本のうち一本が料金滞納等の理由により不通になっていたこと、申請人が被申請人主張の割賦制度を利用していたことは認めるが、その余の事実は争う。

被申請人主張の会社への出勤は、申請人のかかっていた医院が会社のすぐ近くにあり、担当医師からも「最善の治療は歩行運動をすることである」といわれていたので、申請人は早朝自宅を出て会社に出勤し、通院治療を受けていたのである。

(四) 同(四)のうち、申請人が昭和五三年八月二五日小坂支店長から退職勧告を受け、これを拒否したところ、同月三一日被申請人により解雇されたことは認めるが、その余の事実は争う。

五  再抗弁

被申請人が解雇事由として主張するところのものは、事実を殊更に過大評価するものであって、申請人を会社から排除しなければならないとする実質的根拠に乏しいものである。本件解雇は有能な営業社員である申請人が金銭的に余裕を欠く状態であったため、これを危険視し、見込みによって解雇したのが真相であり、被申請人が本件解雇前に申請人に対し教育指導等の打つべき手段をとらなかったのは、被申請人の怠慢といわざるを得ない。

したがって、本件解雇は、解雇権の濫用に該当し無効である。

六  再抗弁に対する答弁

争う。

第三証拠関係(略)

理由

一  申請の理由1ないし3及び4(一)の事実並びに抗弁1の事実は、当事者間に争いがない。

二  申請人の営業成績に悪影響を及ぼした個人的負債等

1  サラ金業者からの借入れ

申請人が多くのサラ金業者(日本信販及び質屋である大蔵産業を加えると一四業者)から借入れをし、申請人が会社にいないときにサラ金業者から会社に度々申請人宛の電話連絡のあったことは、当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、次の事実が一応認められる。

(一)  申請人は、被申請人に入社する以前の自営のときに生じた金融機関に対する借金が残っていたこと、同僚の川口靖夫が多数のサラ金業者から借入れをするについて保証人になったところ、昭和四七年三月頃本人が借財を残したまま行方不明となったため、保証人として返済を強く迫られたこと、酒好きで飲食代が嵩んだことなどから自らもサラ金業者を利用するようになり、昭和五一年夏頃には兄弟から借金をしてサラ金業者に対する借金の大半を返済したものの、なお、約八〇万円程の借金が残り、これをなかなか減らすことができなかった。

(二)  ところで、被申請人においては営業社員が毎日一名順番に支店日直を勤め、来客、電話の受付を行なっているが、昭和五二年四月頃よりサラ金業者から申請人に対する督促の電話が会社にかかるようになり、その後回数が次第にふえて同年一一月頃から翌昭和五三年一月頃にかけて頂点に達し、多いときは一日に一〇回位もかかることがあった。右の電話応対のため、日直者の顧客に対する応対業務がかなり阻害されたばかりか、電話の内容も次第に強硬化して被申請人主張のとおり会社自体に対する非難の言葉も多くなり、一般大衆を顧客とする被申請人の信用にも悪影響を与えた。そのため、営業社員の間から管理者側に対して申請人宛のサラ金業者からの電話応対の件を何とか善処して欲しいとの要求が起り、小坂支店長は、昭和五二年二月、被申請人主張のとおり営業会議の席上において営業社員全体に注意するとともに、更に申請人個人に対しても同様の注意を与えたが、本件解雇に至るまで事態は一向改善されず、サラ金業者からの頻繁な電話による督促の状態が続いた。

以上の事実が一応認められ、申請人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

2  バーでの飲食代金未払

申請人が昭和五二年当時被申請人主張のバーを利用し、つけで飲食していたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、少くとも昭和五二年一〇月、一一月及び昭和五三年六月に右バーから会社に対し申請人宛の代金督促の電話が数回あったこと、昭和五二年一〇月下旬頃には、右バーの経営者が申請人に対する督促、抗議のため会社を訪れ、被申請人主張のとおり一階受付で怒鳴りちらし、このまま放置しておいては被申請人の信用にも傷がつき、業務も阻害される虞れがあったため、山路正之営業課長は上司としての立場上、やむなく申請人に対し個人的に返済資金一五万円を貸し与えたことが一応認められる。申請人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

3  給料差押

抗弁2(三)(3)の(イ)ないし(ハ)の事実のうち、申請人がJCBカードを利用していたこと、日本信販及び中部日産ディーゼルによって被申請人主張の頃給料債権の差押又は仮差押を受けたことは当事者間に争いがなく、その余の事実は(証拠略)によって一応認められる。申請人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

4  社員間の貸借

社員間の貸借に関する被申請人主張の事実は当事者間に争いがない。

5  旅行会積立金の不正使用

抗弁2(三)(5)の事実のうち、被申請人名古屋支店に旅行会があり、昭和五二年一二月に申請人が右旅行会の委員五名の一人に選ばれ、会計担当者になったこと、旅行会が会員の積立金を営業社員に貸付けていたこと、申請人が自己又は堀省三の名義で旅行会から貸付けを受けたこと、昭和五三年八月末の時点において旅行会からの申請人自身の借入金及び申請人の責任において旅行会に返済すべきものが一五万三〇〇〇円あったことは、当事者間に争いがなく、その余の事実は、(証拠略)によって一応認められる。申請人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

6  その他の負債及び不都合

抗弁2(三)(6)の事実のうち、申請人が昭和五二年八月一二日から同年九月一五日まで就業不能であったとして保険会社に対し所得補償保険金の支払を請求し、保険金一〇万〇八〇〇円を受取ったこと、申請人が右期間中に二二日間会社に出勤したこと、申請人の加入していた電話二本のうち一本が料金滞納等の理由で不通になっていたこと、申請人が被申請人主張の割賦制度を利用していたことは、当事者間に争いがなく、その余の事実(但し、申請人の行為が保険金詐欺にあたるとの点は除く)は、(証拠略)によって一応認められ、この認定に反する証拠はない。

三  成績不良について

1  被申請人が営業社員に要求している最低請負高が二八期及び二九期については年間三六〇〇万円であること、申請人が二八期及び二九期(但し、昭和五三年八月末まで)に獲得した請負高がそれ以前に比べて落込んだことは、当事者間に争いがない。

2  (証拠略)によれば、次の事実が一応認められる。

(一)  被申請人においては、顧客が被申請人と契約して建物を建てる方法に現金建築と月払契約による建築の二種類があるところ、顧客と被申請人間の建築請負契約(月払契約による建築の場合は建物給付契約、以下両契約を併せて請負契約という)締結前の段階における顧客の被申請人に対する建築申込書(現金建築の場合)又は月払建築申込書(月払契約による建築の場合)記載の工事予算額(現金建築の場合)及び申込契約額(月払契約による建築の場合における工事予算額)のことを「加入高」と呼び、請負契約が締結された場合の請負代金額を「請負高」と呼んでおり、加入高については顧客から被申請人に対し申込着手金(現金建築の場合)又は申込金(月払契約による建築の場合)が支払われた段階で加入高の数字(但し、五万円未満の端数は切捨)が取扱営業社員の成績として計上され、請負高については請負契約が締結された段階でその数字(但し、五万円以下の端数は切捨)が取扱営業社員の成績として計上される。なお、被申請人は、土地付きの分譲住宅(セレクトホーム)の販売も行なっているが、この場合は売買契約成立時に建物部分の販売高(但し、五万円未満の端数は切捨)が取扱営業社員の加入高及び請負高として双方に同時に計上される。

右のとおり、加入高というのは、セレクトホームの場合は別として、あくまでも請負契約締結前の段階における工事予算額に過ぎず、それが会社に入金する確実な保証は何もないため、営業社員の成績としては基本給増額資料及び業務給査定資料等に用いられる程度でそれ程重視されていないが、請負高の方は会社に対する入金の確実性が高いため、営業社員の成績基準として重視されている。

すなわち、被申請人は営業社員に対し、二六期以降二九期まで最低請負高として年間三六〇〇万円を要求しており、右最低請負高を下回り、かつ、成績向上の徴候、見込みのない者には警告を発したり、退職勧告をしたりしている。右はあくまで見込みの問題であり、二期連続することを退職勧告の要件とするものではない。また、労使間の賃金協定においても、昭和五二年度及び同五三年度の場合、例えば主任については前年度の年間請負高が二四〇〇万円未満の者は基本給が一律に減額され、二四〇〇万円以上三〇〇〇万円未満の者は現給据置のままとされていた。

(二)  ところで、申請人は、入社後三年目頃から二六期(昭和五〇年度)まで名古屋支店内においてトップクラスの成績を続け、この間成績優秀で社長より表彰されたこともあり、昭和四七年頃には課長代理にまで昇格した。次いで、二七期は、前年度に比べ請負高がほぼ半減したとはいえ、名古屋支店内における順位は三九名中一九位(対象人員は、名古屋、一宮、熱田三店の営業社員数、但し、営業見習社員及び社員登用後二年未満の者を除く)で、前記の最低請負高を充分越えていた。ところが、二八期に入って昭和五二年八月から急激に成績が落込み始め、結局二八期の年間請負高は前記最低請負高を大きく下回る二七六〇万円(昭和五二年八月から同五三年三月までの間に限ると六四〇万円)しか挙げることができず、名古屋支店内における順位は三六名中三二位であった。右のような成績不良のため昭和五二年一二月頃には課長代理から主任に降格されるに至ったが、二九期に入っても成績は依然として低迷を続け、昭和五三年四月から本件解雇時である同年八月末までの四ケ月間の請負高は僅かに六七五万円(名古屋支店内における順位は三三名中三一位)に過ぎず、申請人が同年四月に支店長宛の書面において二九期第一四半期の目標として掲げた最低請負高二四〇〇万円を達成することができなかった。

なお、申請人は、昭和五二年八月中旬頃クーラーをつけたまま裸で寝たため右大腿神経痛になり、一時は歩行困難となったが、通院治療を受けた結果同年一〇月一三日には殆ど治癒した。もっとも、この間会社には、日曜日、休日及び年休で休んだ同年八月二三日から同月二七日までの間を除いて毎日出勤しており、また、遅刻の回数も一〇回だけであって、申請人の営業活動が右病気によって支障を生じた期間は比較的短期間であった。

(三)  申請人の成績が二八期中頃から急激に落込んだ主たる原因は、申請人が前認定のように多額の負債の返済に追われ、本来の営業活動を殆どなし得なかったためであった。

すなわち、一般に、営業社員の成績の優劣は、受注に結びつく見込客の多少及び顧客への訪問回数の多少によって決まるものであるが、申請人の場合は、負債の返済のため昭和五二年一〇月以降の毎月の給料手取額が極めて少なく(昭和五三年三月分及び同年八月分の手取額はマイナス)、営業活動に必要な交通費(営業社員の場合は自己負担)さえままにならぬ状態であった。そのため、申請人の営業活動は、殆ど支店日直(来社又は電話による見込客の受付)及び分譲地日直(セレクトホーム現地案内所の来場者受付)に限られて飛込訪問等の積極的活動は皆無であり、過去に申請人の取扱った顧客からの紹介も、申請人が会社の規定を無視して契約したり、顧客に対する約束事項を守らなかったりしたことから信用をなくしたため、一件もなかった。現に、申請人が二九期中に獲得した昭和五三年四月の請負高三七五万円及び同年六月の請負高三〇〇万円についても、申請人はそれに見合うだけの営業活動を何もしておらず、前者は、営業社員久保田好美が顧客野口遵方を何度か訪問してセレクトホーム売買契約を成立させたものであり、後者も営業社員田中勝政が顧客北原義一に対する勧誘から請負契約締結までの営業活動を一人で行なったものであった。

(四)  以上のような状況のため、本件解雇当時申請人は、爾後の成績につながる見込客を殆ど有しておらず、昭和五三年八月二五日に小坂支店長から退職勧告を受けた際も、具体的な業績確保の材料(見込客)のないことを認めた。

申請人が解雇されなければ二九期において申請人の成績として確実に計上できた筈と主張する見込客についても、次のとおり別紙見込客一覧表番号<6>の高木信幸(以下顧客名を省略して番号だけで表示する)以外のものはいずれも申請人主張のような見込客に該当するものではなかった。すなわち、

(1) 番号<2>、<5>、<13>の客は、いずれも申請人の取扱客ではなく、しかも右<2>については仮に申請人が口頭で前取扱者から引継いだとしても、昭和四七年四月に積立金の払込一時休止の処理がなされており、昭和五四年六月現在においても建築計画は全く未定の状態であった。

(2) 同<1>、<3>、<4>、<15>、<16>の客は、顧客に建築の意思がないものとして昭和四六年から同四九年にかけていずれも休止処理がなされており、昭和五四年六月の時点においても具体的な建築計画は未定の状態であった。

(3) 同<6>の客は、昭和五三年九月一四日請負契約締結(請負高一二五〇万円)に至ったため、二九期における申請人の唯一の見込客に該当するが、共同扱者が他に一名いるため、申請人が在籍していたとしてもその取分は六三五万円である。

(4) 同<7>の客は、昭和五一年一一月三〇日に被申請人とセレクトホーム売買契約を締結したもので、申請人の二七期の成績に計上済みである。

(5) 同<8>、<10>、<14>、<17>の客は、申請人の解雇前又は解雇後間もなくの時点に会社との契約を解約又は事実上解約した。

(6) 同<9>の客は、道路条件不備のため建築確認がおりないため二九期中に請負契約を締結し得る見通しは全くなかった。

(7) 同<11>の客は、昭和五四年六月の時点においてもまだ宅地を保有していなかったため、二九期中に請負契約を締結し得る見通しは全くなかった。

(8) 同<12>の客は、昭和五五年三月三一日になってようやく請負契約締結に至ったものであるから二九期の見込客にはならない。なお、申請人は、本件解雇時までに右客に対し訪問等の積極的営業活動は何もしておらず、年末にカレンダーを配った程度であった。

以上の事実が一応認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分はたやすく措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

四  無断欠勤の有無について

1  申請人が昭和五三年七月三一日から同年八月四日まで、同月七日から同月一一日まで、同月一四日から同月一八日まで及び同月二一日から同月二四日まで通算一九日間就業しなかったことは、当事者間に争いがない。

2  (証拠略)によれば、次の事実が一応認められる。

(一)  被申請人の就業規則には、欠勤、年休等の手続について、(1)「従業員が欠勤するときは、当日の始業時刻までに書面で欠勤の予定日数とその事由を所属長に届け出て承諾を得なければならない。但し、緊急やむを得ない事由によりあらかじめ所属長の承認を得ることができなかったときは、事後遅滞なく承認を得なければならない。」(二五条一項)、(2)「従業員が遅刻、早退又は私用の外出をするときは、必ずその事由を所属長に届け出て、その許可を得なければならない。」(二六条一項)、(3)「年休を利用しようとする者は、必ず前日までに所定の様式により休暇の届を所属長に提出し、その承認を得なければならない。」(四九条二項)と定められている。

(二)  名古屋支店の営業社員(主として建築等の契約募集及びこれに関連する営業業務に従事する社員)についても、原則的には右就業規則どおり、年休をとる場合は前日までに、欠勤する場合は当日の始業時刻(午前九時)までにそれぞれ書面で営業課長(課長不在の場合は課長補佐)に届出ることとされており、たまたま事由が当日発生した場合その他緊急やむを得ない場合には、慣行として、速やかに営業課長(課長不在の場合は課長補佐)に電話等で連絡し、後日届出書を提出することになっている。現に、申請人も、昭和五三年三月一三日及び翌一四日の両日と同年七月一四日に年休をとった際は、就業規則所定の様式による届出書を会社に提出している。

ところで、営業社員の出勤簿は、営業課長が管理しているものであるところ、営業課長は毎日午前九時から九時一〇分頃にかけて出勤簿を整理し、その時点において出勤しておらず、かつ、連絡の届いていない(又は連絡不十分な)営業社員については、それが遅刻か欠勤か或いはまた年休によるものか未確定のためその出勤簿に「」というチェックをしておき、後に本人から文書を提出させ確認の上、欠勤、年休等の別に従がいゴム印を出勤簿に押す扱いをしていた。そして営業課長は、連絡が明確な営業社員の出勤簿には出社後本人が速やかに届を提出できるよう届出用紙を挾んでいた。

(三)  昭和五三年七月当時申請人の上司であった黒田課長は、同月二六日及び翌二七日については営業社員山本隆彦から申請人は年休をとる旨の伝言を聞き、連絡が明確であったことから、申請人の出勤簿に「年休」のゴム印を押し、それに年休届出用紙を挾んでおいた。右両日を年休扱いにしても申請人には年休残は二一日あった。しかし、同月二八日以降については申請人が出社せず、しかも同人から何の連絡もないため、同年八月八日頃までひとまず同人の出勤簿に未確定の趣旨で「」というチェックを鉛筆でしておいた。しかし、その後一〇日を経過するも届出がないため、消えないようにと、黒田課長は八月八日頃、出勤簿の七月二八日以降の欄(但し日曜及び休日欄を除く)にボールペンで「休」という字に書き直すとともに、出勤簿に挾んでおいた年休届出用紙もその頃までに片付けた。そして、その後も申請人からは一切連絡がなかったため、黒田課長は八月一二日まで同様に「休」という字を記入した。なお申請人が会社に届出ている自宅の電話(名古屋六八一局三五三八番)は、昭和五三年七月以前から料金滞納のため不通になっており、また申請人の自宅宛の郵便物も転居先不明ということで会社に返送される状態であったため、黒田課長としては申請人に連絡をとることができなかった。

(四)  しかるところ、同年八月一二日午前一一時頃前記山本が会社へ申請人の給料(工事報酬)を代わりに受取りに来たため、黒田課長は、申請人が直接取りに来るよう右山本に伝え、その結果申請人は終業時刻後である同日午後零時半頃来社した上、給料を受取った。その際、黒田課長は申請人と会って話を聞いたところ、体の調子が悪くて休んだということであったため、同課長は年休届の事後提出によるのではなく、病気欠勤であって年休への振替えによるのが相当であると考え、申請人に対し就業規則二五条二項(傷病による欠勤が引続き七日以上にわたる場合は、欠勤の届出書に医師の診断書を添付しなければならないとの規定)に基づく医師の診断書及び届出が遅れた理由書を提出するようすすめるとともに、その結果によっては右規則五〇条(欠勤の年休への振替えの規定)の適用を考慮すると述べたところ、これに対し申請人は、退職することも考えているので一四日までに態度を明らかにすると答えて帰った。ところが、一四日になっても申請人から何の連絡もないため、黒田課長は欠勤に確定したと判断し、同日前記ボールペンで記入しておいた「休」の字を消した上、新たに「欠勤」のゴム印を押した。その後も申請人は、同年八月二五日に会社で退職勧告を受けるまで何の届出、連絡もしないまま出社しなかったため、出勤簿には同日まで「欠勤」のゴム印が押された。

(五)  ところで、就業規則四三条四項には、「営業・外渉社員が公休日及び特定休日(国民の祝日及び年末年始)に勤務することが必要であると認めたときは、あらかじめ所属長に申し出て、所属長がその必要を認めた場合は、公休日及び特定休日の振替を行なうものとする。」旨の定めがあるが、申請人が展示場の日直を勤めたと主張する昭和五三年七月二八日(金曜日)と八月一三日(日曜日)に同人が展示場(正確にはセレクトホームの現地案内所)の日直を勤めた事実はなく、同様に申請人が同年七月三〇日(日曜日)と八月六日(日曜日)に申請人主張の高木邸等の見積り打合せに従事した事実もなかった。勿論休日勤務の申し出が所属長に対してなされた事実もない。

(六)  被申請人名古屋支店の小坂支店長は、同年八月一四日頃から申請人に対し無断欠勤、成績不良その他の理由により退職勧告をすることを考えていたところ、同年八月二五日午後零時五〇分頃申請人が出社しているとの連絡を受けたため、直ちに申請人を呼び、同日午後一時頃から約一時間にわたって退職勧告書を提示して退職を勧告したが(申請人が昭和五三年八月二五日に小坂支店長より退職勧告を受けたことは当事者間に争いがない)、その際申請人は、無断欠勤の点について「休暇扱いになっていると思っていた。病院に行く金もなく診断書も貰えなかった。」などと述べ、支店長から「どこが悪いのか、休業中会社の近くを歩いている程なのに何故出社しなかったのか。」と聞かれても満足な返事をすることができなかった。なお、右同日申請人がその本来の業務に従事した事実はなかった。

以上の事実が一応認められ、(証拠略)は、いずれも前掲各証拠に照らしてたやすく措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

3  労働者の年休権は一定要件のもとで法律上当然に生ずるものであるが、その時季指定を書面によらしめる本件就業規則の定めは、年休権行使の意思及び休暇の始・終期を明確にする目的を有するものであって合理性を有し、緊急時の行使につき事後による書面提出を認めている点から判断すると年休権の行使に事実上制限を加えるものではなく、右手続規定は有効と解される。すると右手続をとらない以上申請人には年休は成立せず、従って申請人は被申請人主張のとおり昭和五三年七月二八日から同年八月二五日までの間に通算二二日間欠勤したものと一応認めることができる。

以上によると申請人は、年休権を行使して夏季に長期間休暇を取る意図であったというべく、労働意欲を失ったための欠勤とみるのは相当でないが、就業規則に定める関係規定を遵守する気持ちに弛みがあったとみられても止むを得ないというべきである。

五  申請人に対する退職勧告及び本件解雇に対する組合の意見について

申請人が昭和五三年八月二五日小坂支店長より退職勧告を受け、これを拒否したことは、当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、小坂支店長は、会社と組合との間にユニオン・ショップ協定があり、かつ、労働協約四二条一項に同項各号所定の場合を除き会社が組合員を解雇するときは誠意をもって組合と協議する旨定められていることから、組合員である申請人に対し退職勧告(勧告に応じないときは同年八月末日をもって解雇する旨の予告を含むもの)をするに当り、組合名古屋支部副委員長、同書記長の立会を求めたが、右役員らも申請人に対し退職を勧めたこと、被申請人は申請人を解雇することを事前に組合に通知したが、組合としても解雇はやむを得ないと考えていたため会社に対し格別の要望はしなかったこと、本件解雇後も組合は会社に対し本件解雇をやむを得ない措置として支持する旨の文書を二度にわたって提出していることが一応認められる。申請人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

六  解雇事由の就業規則該当性の有無について

(証拠略)によれば、被申請人の就業規則六八条一項には、「従業員が次の各号の一に該当するときは、退職または解雇とする。」として、その九号に「業務成績いちじるしく不良につき、向上の見込みがないと認めたとき」、その一一号に「前各号のほか、従業員に解雇に値する重大な理由があると認めたとき」と定められていることが一応認められる。

そして前記三項において認定した事実によれば、申請人は、本件解雇当時成績が著しく不良であり、同項の事実に前記二項及び四項において認定した事実を総合すると、向上の見込みがなかったものと一応認めることができる。

すると右認定にかかる申請人の成績不良は就業規則六八条一項九号に該当することが明らかである。

七  権利濫用の主張について

前認定の諸般の事情を総合考慮すると、本件解雇は、被申請人の職場秩序の維持、信用保持、採算維持及び業務の円滑な運営を図るためになされた誠にやむを得ない措置というべきであり、社会通念からしても充分是認し得るものである。申請人は、被申請人において、本件解雇前申請人を教育指導しなかったことを指摘するが、本件成績不良の原因となった個人的負債は当該個人がその債権者との間で解決すべき問題であり、使用者が借財整理に助力しなかったことをもって使用者としての義務不履行ないしは不相当な行為と評価することはできない。すると右個人的負債が原因となって営業活動が阻害され、結局営業成績不良を理由に解雇されるに至った本件は、解雇権の濫用ということはできない。

解雇権濫用の再抗弁は理由がない。

八  以上の次第であって、申請人の本件申請は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上孝一 裁判官 棚橋健二 裁判官 福崎伸一郎)

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